専攻・専修のなりたち

専攻・専修のなりたち

平成6年(1994 年)に行われた大学院重点化によって、それまで「東京大学農学部農芸化学科」に所属していた教員組織は、「東京大学大学院農学生命科学研究科応用生命化学専攻・応用生命工学専攻」に所属することとなりました。
現在、応用生命化学専攻・応用生命工学専攻では「人類の生存を支えるバイオサイエンス」を実践すべく研究を進めていますが、その根底に流れる理念は「農芸化学」に基づくものです。
農芸化学という学問領域は、百年の歴史の中で鈴木梅太郎によるオリザニン(ビタミンB1)の発見や田村學造による火落酸(メバロン酸)の発見など科学の歴史に刻まれる目覚しい成果を残してきました。農芸化学が今までに何を達成してきたのかを知っていただき、私達の「人類の生存を支えるバイオサイエンス」が何を目指しているのかを理解していただくために、農芸化学科から生命化学・工学専修への年表を記します。

明治・大正(農芸化学科)

風景1
風景2
オスカル・ケルネル
風景
古在 鈴木
明治 5年(1872年)
大蔵省が内藤新宿(現・新宿御苑)に試験場を設置。
明治 7年(1874年)
内藤新宿試験場内に内務省農事修学場を設置。
明治 9年(1876年)
農芸化学教師エドワルド・キンチ(Edward Kinch)が英国より赴任し、明治14 年まで指導。
明治 10年(1877年)
農事修学場を農学校と改称。農芸化学科を設置。農学校を駒場野(東京府荏原郡上目黒村駒場野)に移転。
明治 11年(1878年)
明治天皇の行幸をあおいで農学校の開校式を挙行。
明治 14年(1881年)
農芸化学教師オスカル・ケルネル(Oscar Kellner)がドイツより赴任し、明治25年まで指導。
明治 15年(1882年)
農学校を駒場農学校と改称。
明治 19年(1886年)
駒場農学校と東京山林学校とが合併し、東京農林学校となる。農芸化学科は農学部に統合される。
明治 22年(1889年)
農学部に本科と予科を設置し、農学部本科が農学科と農芸化学科に分かれる。
明治 23年(1890年)
東京農林学校を帝国大学に合併し、帝国大学農科大学を設置。
農芸化学を主とする学科課程として農学科第二部を設置。
明治 25年(1892年)
古在由直助教授と長岡宗好助教授が足尾銅山鉱毒の実状調査および研究を行う。
明治 26年(1893年)
各分科大学で講座制を施行。農学科第二部を農芸化学科とし、農芸化学第一、第二の2講座を開設。

農芸化学担当教師オスカル・ロイブ(Oscar Loew)がドイツより赴任し、明治40 年まで農芸化学第二講座を担当。生物化学・発酵化学・植物生理学を講義。

明治 30年(1897年)
東京帝国大学農科大学と改称。
明治 43年(1910年)
鈴木梅太郎教授がオリザニン(ビタミンB1)を発見する。
大正 8年(1919年)
東京帝国大学農学部と改称。農芸化学科は、5講座体制(農芸化学第一、第二、第三、地質学・土壌学、農産製造学)。
大正 9年(1920年)
古在由直教授が東京帝国大学総長に就任。昭和3年まで務め、関東大震災後の復興、キャンパス移転などの問題に尽力する。
大正 12年(1923年)
関東大震災
大正 13年(1924年)
鈴木梅太郎教授と高橋克巳氏が「副栄養素の研究」により帝国学士院賞受賞。

昭和・平成(農芸化学科)

校舎
当時の風景
当時の風景
当時の風景
当時の風景
坂口謹一郎
田村三郎
平成5年
昭和 8年(1933年)
鈴木文助教授が「脂肪酸及之を含有する生物体成分の研究」により恩賜賞受賞。
昭和 10年(1935年)
農学部が、駒場より本郷区向ヶ丘弥生町(現・弥生キャンパス)へ移転。
昭和 13年(1938年)
藪田貞治郎教授と住木諭介助教授らが「稲の馬鹿苗病菌からジベレリンを単離」する。
昭和 14年(1939年)
久保秀雄氏が「豆科植物の窒素固定に必要なヘモグロビン」を発見。
昭和 18年(1943年)
鈴木梅太郎名誉教授が文化勲章受章(生物化学、ビタミンなどの研究)。

藪田貞治郎教授が「絲状菌の代謝生産物に関する生化学的研究」により帝国学士院賞受賞。

昭和 20年(1945年)
塩入松三郎教授が「水田の化学的研究」により伯爵鹿島萩麿記念賞受賞。

第二次世界大戦が終結。農学部1号館、2号館、3号館は戦災をまぬがれた。

昭和 22年(1947年)
東京帝国大学を東京大学と改称。東京大学農学部となる。

農芸化学科は10 講座体制(農芸化学第一、第二、第三、第四、第五、地質学・土壌学、農産製造学、生物化学、醗酵生産学、畜産製造学)。

昭和 24年(1949年)
後藤格次教授が「シノメニンに関する研究」により恩賜賞受賞。
昭和 25年(1950年)
坂口謹一郎教授が「本邦産醗酵菌類に関する研究」により日本学士院賞受賞
昭和 28年(1953年)
東京大学大学院(新制)の発足。

東京大学応用微生物研究所を東京大学の附置研究所として設置。

昭和 29年(1954年)
東京大学大学院発足に対応して各講座名を改称。10講座体制(植物栄養・肥料学、生物化学、栄養化学・家畜飼養学、有機化学、醗酵学、土壌学、農産物利用学、食糧化学、微生物利用学、畜産物利用学)
昭和 31年(1956年)
田村學造助教授らが火落酸(メバロン酸)を発見。
昭和 32年(1957年)
朝井勇宣教授が「酸化醗酵に関する研究」により日本学士院賞受賞。

塩入松三郎名誉教授が文化功労者に顕彰(土壌学の研究)。

昭和 38年(1963年)
住木諭介名誉教授が「Blasticidin S に関する研究」により日本学士院賞受賞。

田村三郎教授、高橋信孝助教授らがピエリシジンを発見。

昭和 39年(1964年)
藪田貞治郎名誉教授が文化勲章受章(ジベレリンの発見など微生物化学と植物病理生化学の研究)。同時に文化功労者に顕彰。
昭和 40年(1965年)
理科系大学院を改組し、大学院農学系研究科を設置。
昭和 41年(1966年)
田村三郎教授、高橋信孝助教授、室伏旭助手らがタケノコより新植物性ジベレリンA19を単離、構造決定。
昭和 42年(1967年)
坂口謹一郎名誉教授が文化勲章受章(微生物学、酵素化学の研究)。同時に文化功労者に顕彰。

三井進午教授が「植物の養分吸収同化に関する生理化学的研究」により日本学士院賞受賞。

有馬啓教授らがカビによる凝乳酵素(ムコール・レンニン)の生産に成功。

昭和 43年(1968年)
神立誠教授が「反芻胃内消化に対する繊毛虫類の機能に関する生化学的研究」により日本学士院賞受賞。分析化学講座、酵素学講座を開設し、農芸化学科は12講座体制となる。
昭和 44年(1969年)
有馬啓教授らが微生物変換法によるステロイドホルモン原料の生産に成功。

農薬学講座、微生物学講座を開設し、農芸化学科は14講座体制となる。

昭和 46年(1971年)
田村學造教授らがツニカマイシンを発見。

食品工学講座を開設し、農芸化学科は15講座体制となる。

昭和 51年(1976年)
田村三郎教授が「生理活性物質に関する化学的研究」により日本学士院賞受賞。

放射線微生物学講座を開設し、農芸化学科は16講座体制となる。

昭和 54年(1979年)
有馬啓名誉教授が「微生物の産業的利用に関する研究」により日本学士院賞受賞。
昭和 56年(1981年)
松井正直名誉教授、森謙治教授が「天然有機化合物の合成に関する研究(共同研究)」により日本学士院賞受賞。
昭和 59年(1984年)
田村學造教授が「火落酸の発見並びにイソプレノイドの関与する複合糖質の生合成阻害に関する研究」により恩賜賞・日本学士院賞受賞。
昭和 62年(1987年)
大学院農学系研究科に応用生命工学(独立専攻)を設置。生物情報工学講座、育種生産工学講座を開設。