先人に学ぶ

足尾鉱毒問題と古在由直

古在由直(1864~1934)は足尾銅山の鉱毒調査に科学者としての良心において積極的に力を注ぎ、日本の環境科学の先駆けとなる功績を残した農芸化学者である。

古在由直

古在由直

栃木県、渡良瀬川の最上流部に位置する足尾銅山は1610年に開山し、1877年(明治10年)に民営化されて日本最大の銅山となった。しかし採鉱、選鉱、精錬の過程からの重金属を含んだ酸性排水が渡良瀬川に流入し、また、乱伐や精錬過程で発生する亜硫酸ガスにより周辺の山林が荒廃して度重なる洪水がもたらされた。下流域における漁獲量激減、作物の生育不良が目立ち始め、1890年(明治23年)8月の大洪水では有害重金属を含む鉱泥が渡良瀬川に大量に流れ込み、栃木、群馬の田畑約1万haが鉱毒水につかり、農作物は全滅した。
被害は大きな社会的政治的事件となった。1891年(明治24年)、農民代表は公平無私な科学者として評判の高かった帝国大学農科大学(現在の東京大学農学部)の古在由直を訪ねて土壌と水の分析を依頼した。政府と県からの調査依頼もまた古在に届いた。古在は直ちに調査分析を行い、被害の原因は銅の化合物にあると結論し公表した。
古在の調査結果に力を得て、農民や代議士田中正造らが問題解決に奮闘したが政府は鉱山側をかばう姿勢であった。1902年(明治35年)に政府が設けた鉱毒調査委員会の委員に古在は命じられた。古在は渡良瀬川沿岸一帯の徹底的な調査を主張したが認められなかった。そこで古在は弟子や学生の応援を得て自ら調査を行った。地図に碁盤の目状に線を引き、一目ずつから試料を採取する客観的、公正な調査であった。土壌、作物、水が鉱毒の害を受けていることを示す調査結果は、事態を進捗させる大きな契機となった。
古在由直は教授として農芸化学科農産製造学講座を担当するかたわら旧農事試験場の場長を兼任し、後に東京帝国大学の総長を務めた。足尾鉱毒問題のみならず、広く研究、教育、農業技術の各分野にはかりしれない功績を残した偉大な先達である。

(妹尾 啓史)

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